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「今、私が会いたい人」着物に宿った“想いと文化”をリメイクで繋ぐ。83歳の母と子で手がける世界でたった一つの作品|SAICOさん

「今、私が会いたい人」着物に宿った“想いと文化”をリメイクで繋ぐ。83歳の母と子で手がける世界でたった一つの作品|SAICOさん

皆さんには、どうしても捨てられないもの、昔からある思い出の詰まったものはありますか?
先日、「何だか捨てられない……」そんな想いが込められた大切なものを未来へと繋ぐ、素敵な作品を手掛ける作家さんと出逢いました。

 

こんにちは、クリーマの阿部です。今年の4月から、新社会人としてクリーマのメンバーとなり、現在はクリエイターの方々とのやり取りや、読みものの記事執筆を担当しています。

ものづくりに情熱を注ぐクリエイターの皆さまの、特別な想いが込められた作品にふれる日々はとても刺激的で、それは「もっと多くの人に、素敵な作品を届けたい」という仕事のやりがいにも繋がっています。

 

入社したばかりのある日、仕事用にPCケースをCreemaで探していたところ、運命的な作品を見つけ、一目惚れをしました。大きな椿の紋様が映えるハンドルバッグ。よく見ると、着物の帯でつくられた作品でした。

▲ 私が実際に購入した着物リメイクバック。愛用中です!

それは日本の伝統文化である「着物・帯」をリユースして作品に生まれ変わらせる、彩子さんと83歳のお母さま・雅さん親子が手掛けるブランド「SAICO」の作品。今回はその着物リメイク作家「SAICO」の彩子さんにインタビューし、すべて一点もの、同じデザインのない唯一無二の作品はどのように作られているのか、直接お話を伺わせていただきました。

▲ 写真左:クリーマ阿部、右:SAICO・彩子さん(アトリエにて)

ふとした瞬間に開かれた、ものづくりへの道

ーー母子二人で、日本の伝統文化である着物や帯を使った作品作りをはじめたきっかけを教えてください

もともとは、私一人で始めたことでした。建築やインテリア関連の仕事に長く携わっていましたし、料理が得意だったこともあり、自宅でおもてなしをする機会がよくありました。そこでテーブルランナーやタペストリー代わりに、帯をインテリアとして飾っていたんです。

あるとき、その美しい帯をクラッチバックにしたらどうだろう? と思いついたことがきっかけでした。当時は「日本の伝統文化を残していきたい」なんて大それたことも考えていませんでした(笑)ただ、「こんなに美しいものなんだから、日常でもっと使いたい」と、純粋にそう思ったんです。

 

当初は私一人でバッグを作っていたのですが、依頼が少しずつ増えた頃から私がデザインをした洋服を母が縫うという連携が生まれ、母と二人で仕事をするようになりました。

母は元々長年お針子をしていたのですが、60歳で仕事を離れていました。この20年は家族や友人のものを頼まれれば作る程度だったので、 80歳を超えての現場復帰って感じですね。

▲ 現役復帰!着物のサロペットを縫うお母さま・雅さん

60年お針子として培ってきた母の技術と、相棒の道具を受け継ぐことに

私は3姉妹の末っ子なのですが、誰一人母の後継者にはならず、父はとても残念がっていたんです。

私が学校を卒業し就職する頃は、洋裁やお針子で生計を立てていくことはとても難しく、母の技術も道具たちも受け継ぐなんて考えてもいなかったのですが、40歳をすぎた頃からちょこちょことミシンを踏むようになり、少しずつ母に教わりながら今に至ります。

▲ 彩子さんの「ミシン、のりまーす!」という掛け声が印象的でした。 「ミシンかけます」ではなく、「のります」と言うんだとか。
▲ お母さまが結婚したおよそ60年前からずっと使用している仕上げ馬 (ミシン台)。普段作品づくりで使用している道具は、どれもお母さまが昔から使っているものだそうです。
▲ 紐の目印がついた裁断はさみ。彩子さんは左利きなので、目印をつけているそうです。

ーー長年培ってきたお母さまの技術を引き継いだ際に感じた想いや、現在の活動に活きていると思うことはありますか?

結果的に、母の技術とこの古道具を受け継ぐことになりましたが、それをとても誇りに思っています。そして、そうなるべくしてなったのかなとも感じています。

親子で技を受け継ぐことができるのは、本当に素晴らしいことだと思います。母と仕事をして過ごす毎日は、何かに残さなくても私の心にたくさん刻まれます。それだけで親孝行と子孝行だとお互いに思ってるんじゃないかしら。 毎日一緒にいるので、時々喧嘩をして口をきかないこともありますけどね(笑)

私にとって母は最高の師匠

母はとにかく丁寧で、一切妥協をしません。そして諦めない。根気強い人です。 私を叱ることは絶対になく、私が不貞腐れていると、「頑張れ、頑張れ!」って慰めてくれます。一緒に膝を付き合わせて仕事をしながら、過去のこと、(母の)親のこと、子ども時代のことを語ってくれます。そんな風に毎日過ごすようになってから母の知らない面をたくさん知るようになりました。

 

ここ数年で母から引き継いだのは、諦めないことでしょうか。技術はもちろん、精神面でも、母は私にとって最高のお師匠さんですね。

昔から母が家で人様の洋服を作っていることが私たちには日常の光景であり、世の中のお母さんってそういうものだと思っていました。 だから、足踏みミシンがあるのも、ミシンの音がするのも当たり前のことでした。

私は小さい頃から母にべったりの母親っ子だったので、ミシンを踏む母のそばでいつも一人でベラベラと話しかけていました。そんな家庭に育ったので、もの作りが好きなのは当然なのかもしれませんね。 

▲ 60年ものの歴史ある足踏みミシンは、一度も修理に出したことがないほど丁寧に扱われ、受け継がれてきた大切な道具。カタカタと回る音が、とても心地よい響きでした。

着物の形を進化させることで、日常の「衣」にしたい

ーー近代薄れつつある伝統や文化を繋いでいくことの難しさや、作家活動をするうえで壁に直面したことはありますか?

“伝統工芸”や“一点もの”というのは、工場での大量生産とは異なり、少人数で時間をかけて作り上げていくものがほとんどです 。それなのに対価があまりにも低く、生活するのが精一杯、もしくは生活ができない状況があるんです。若い伝統工芸を継承する担い手を育てるためにも、国や自治体がもっと援助すべきではないかと思っています。

一方で、「着物や帯は高価だから日常に使えない。はさみを入れるなんてできない。」そうおっしゃる方がとても多いです。結局はタンスの中にしまいっぱなしで、最後には処分してしまう。これでは本末転倒ではないでしょうか。

 

素晴らしい技術で作られた着物のリメイクに携わるうちに、この何千年と継承されてきた有形無形の文化の価値を伝え、次の世代に残したい。形を変えて進化させることで、より多くの方々に日常的に楽しんでいただきたいと考えるようになりました。そうすることで、日本の伝統工芸を継承しつつ生計を立てられる社会の実現に繋げられたらと思っています。

▲ 着物・帯地はざっと100枚以上。殆どが捨てるはずだったものを譲り受けたそう。

また、技術面や制作についての壁もあります。古物を再利用するということは経年変化があり、未使用でなければ、当然シミやシワがあり、そして素材そのものの劣化もあります。

ぱっと見は綺麗でも、解いてみないとわからないんです。解いてみたら使えない、縫い始めたらもろけだした…… なんてことも多く、制作の途中で発覚するのでその分タイムロスもあります。

3〜5時間かけて、解く→洗う→地のし(アイロンがけ)をすることでやっと布地となるので、スタートラインに立つまでの見えない仕事が多いこともリユースの苦労であり醍醐味です。

 

「同じことの繰り返しがない」ことが難しく、挑戦の日々ですね。 

▲ 一つひとつデザインの異なる、鮮やかな帯地

世代を超えて使ってもらえるものを

ーー母子二人で作家活動をする中で、思い出に残るエピソードを教えてください

SAICOをスタートさせてからほぼ毎日一緒に過ごして日常になっているので、そんな思い出と言えるような大きなエピソードはありませんが......。
私が大切にしているものの一つに、母の帯をリユースしたスタジャンとクラッチバックがあります。 

これは私にとって、生前ではありますが大切な形見分けとなっています。 “縫って残していく”私の作家活動を体現しているものでもあります。

▲ お母さまの帯をリユースしたスタジャンとクラッチバッグとショルダーバッグの3点セット。イベントなどに参加する際は必ず着ていくそうです!

あと思い出深いのは、高校時代の友人がまだ幼い七五三のときにそのお母さまが着た着物を譲り受け、母がスタジャンにリメイクして、孫(私にとっての姪っ子)にプレゼントしたことです。友人がまだ赤ん坊だったころの着物が、今の若い世代へ、そしてその先へと受け継がれていくんです。

捨てようとしていたものが、世代を超えてまだまだこの先も使われるなんて、素敵ですよね。

母と私でないとつくれない、SAICOの作品

ーーSAICOさんは着物の柄を最大限に活かした作品を作られていて、着物そのものを大切にしている想いがとても伝わってくるのですが、作品をデザイン、制作する上でのこだわりを教えてください。

実は、こだわりは全然ないんです。あえて言うとすれば、着物や帯そのものを活かしつつ、新たな息吹を吹き込むことに力を注いでいます。

この子たち(着物や帯)を見ていると、「こうすると美しくなる」「きっと素敵になるな〜」っていうのがなんとなく頭の中に浮かぶんです。 私に才能があるというよりも、着物や帯たちが教えてくれる感じです。その頭の中にあるイメージを母に伝えて、ああでもないこうでもないと言って、日々押し問答しながら作り上げています。

デッサンを起こして、決まった生地で作るというわけではない。だから、母と私でないとできないんです。

「想いと文化」をつないでいく、着物生地ならではの魅力

ーーSDGsへの関心の高まりと共に、持続可能なものづくりにも注目が集まっています。 目に見えない想いも詰まった着物生地を使用した作品ならではの魅力について教えてください。

仕入れたり頂戴したりする着物・帯には未使用のものも使用済みのものもあります。なかには、購入された方の直筆で、何年にどこで購入したなんて書かれたものがあったりします。そんな着物生地なので「どんな方が、どんなときに着ていたのだろう」とか、「嫁入り道具だったのかしら」とか、思いをはせます。

一度も袖を通していないものも多く、 私たちが形を変えて初めて袖を通してもらえたり、活躍できたりすることをこの子は喜んでいるだろうな〜なんて思ったりします。 

HITOE 着物リユース羽織 ノースリーブブラウス セットアップ  正絹100%

▲ 着物のフォルムを残した深い襟元は、気分に合わせて形を変えられるそうです。

私たちは、思いの詰まった着物や帯を「縫ってつなぐ」役割を果たすべく、日々制作しています。見知らぬ人の世代を超えたバトン。それも、ご縁だと思います。それをできることが、私たちの作品の魅力でしょうか。

写真左:黒留袖セットアップ  着物リユース 正絹100%

▲ 鶴の柄がとっても素敵な黒留袖のリメイク作品

ちなみにこちらは、最近オーダーいただいたお母さまの形見である羽織をスタジャンにリメイクしたものです。羽織のままだとずっと箪笥やクローゼットにしまっておくことになりますが、こうやってスタジャンに生まれ変わることで、日常でお母さまを感じてもらえたらなと思います。

【Before】羽織

【Before】羽織
▲ オーダーいただいた、ご依頼人お母さまの形見

【After】スタジャン

【After】スタジャン

今はまだ、私の作品はマイノリティかもしれません。でも、そんなに遠くない未来に、日本そして世界で、着物をリメイクした洋服やバックが、ワクワクした気分で日常的に使われるようになっているんじゃないかな、と思っています。

そんな未来に一歩でも近づけるよう...... 本来の形のままでも、形を変えたものになっていても、多くの人が着物や帯を気軽に手にできる作品を作り出していきたいです。

インタビューを終えて

かつての家族団らんの場所であるダイニングルームを工房に、親子で世界にひとつの作品を手掛けるSAICOさん。

「この道具は母が結婚した頃から使っているんですよ」
「母はモノが捨てられなくて、昔の菓子箱とか缶が小物入れになっているんです」
そんなエピソードがたくさんありました。

長年大切に使われてきたのだろうと感じる、宝物とも言える道具を見て、古きものへ感謝を忘れないそのお気持ちは、お母さま譲りなのだろうと感じました。

 

とても明るく、ハキハキとしていて、キレのあるツッコミをする彩子さん。
おっとりとしていて、優しい口調でありながら細かな作業をテキパキとこなすお母さま。

そんな彩子さんとお母さまが何気ない会話をしている姿を見ていると、自然と温かい気持ちになりました。

(左:SAICO・彩子さん、右:クリーマ 阿部)

インタビュー当日に私がSAICOさんのバッグを手にして伺った際、「びっくりした〜!ここ最近で一番のサプライズですよ!!」と、笑顔で迎えてくださったあのシーンは、私にとって忘れられない一コマになりました。

彩子さんは毎回、「一体どんな方が纏ってくれるのだろう」と想像しながら丁寧に包装し、お客さまへと引き継いでいくそうです。購入いただいたことを “お嫁入りする” と表現しているところも、とっても素敵だと感じました。

 

「今、私が幸せ者だと思えることは、83歳の母と毎日一緒に過ごせて、一緒に仕事ができて、世界で一つしかないものを生み出せることです。」とおっしゃっていたのが心に残っています。

親子で、一つひとつ丁寧に愛情を込めて制作するSAICO・彩子さんは、上品で華やかな「和」の雰囲気を残しつつも日常で纏うことのできる姿へとリボーンした作品を手掛ける唯一無二の作家さんでした。

皆さんにもぜひご覧いただけたら嬉しいです!

これまでの作り手インタビューはこちら

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